シャロームいしのまき

当事者研究が大切にする理念

「自己病名」を決めよう!

当事者研究では「自己病名」を考えることを大切にしています。  「自己病名」とは、主治医からもらった医学的な病名ではなく、自分の苦労のパターンを見きわめて、 仲間や関係者と一緒になって楽しく考えていったなかで与えられるものです。  「自己病名」を考える上でのポイントは、自己病名を見ただけで、その人の苦労が透けて見えることと、 ユーモア精神を発揮することです。研究の過程で「自己病名は」変わってもOKです。


「弱さ」は力

私たちは、弱い部分を否定して、より強さを求めたり、弱い部分を克服して強さに変えようとしがちです。  当事者研究では、お互いの弱さや苦労をありのまま持ち寄ることによって、その場に連帯が生まれ、人の苦労や弱い部分が、 そのままで人を慰め励ます力に変えられることがあります。 「弱さ」には、人と人とをつなげ、謙虚にさせ、新しい可能性を生み出す力があるのです。


経験は「宝」

当事者研究では、どのような失敗や行きづまりの経験のなかにでも、そこには未来につながる大切な「宝=大切な生活情報(資源)」 が眠っているという理解をします。今の苦労や困難を解消する知恵とアイデアの素材は、自分自身と仲間の経験のなかに眠っているからです。  問題だらけで、出口の見えない状況の中でも、その「問題」の中心に、大切な新しい生き方の情報が蓄積されています。 そして、その経験は誰にとっても有用な生活情報として活用される価値がある大切な資源なのです。


「苦労の棚上げ」をする

当事者研究では、かかえている問題に対して、「研究すればいい」と立ち位置を変えると、問題そのものは何も解決していないのに、 解消されるということがおこります。これを「苦労の棚上げ効果」といいます。  あいかわらず困りごとはたくさんあるけれど、あまり負担を感じなくなる。問題だらけの日々の上で安心してあぐらをかいて座っている。 自分の助け方の達人は特にこの「苦労の棚上げ」の技を使っています。  それは、先の見えない苦労が、大切な苦労へと変わっていくことでもあります。


「見つめる」から「眺める」へ

誰でも、自分のつらい体験を思い出したり、苦しい現実に向き合う事に抵抗を感じたり、回避しようとします。 ですから「自分を見つめる」ということに不安や恐れを感じる人がいます。  しかし、当事者研究では基本的に「自分を見つめる」ということはしません。そうではなくて、 研究に必要と思われる自らの経験や生活情報を互いにテーブルに広げるように出し合い、それを眺め、 見渡しながら並び替えたり、議論しあいながら苦労の置き方のパターンを考えたり、その意味を考えたりする作業を行います。


「考える」ことの回復

当事者研究では、「考える」という営みの回復を大切にしています。  それは精神障害とは「考える」という人間の最も大切な営みを困難にするからです。 しかし、私たちは当事者研究に参加することを通して、自然な形でその営みを取り戻すことが出来ます。  当事者の生活場面には、実に数多くの「考えること」につながる苦労の「素材」が眠っています。 それは、料理に例えると「素材」をもとに、工夫を凝らして一人ひとりが自分の口に合うメニュー(生き方のメニュー!) を考えて、調理していくようなものです。


「人」と「問題」を分けて考える

当事者研究で大切にしていることは「人」と「問題」を分けて考えることです。  どんな出来事でも「人が問題ではなく“問題”が問題なのだ」と考えるところから研究ははじまります。 トラブルが起きて、当事者の周辺にさまざまな困難が山積してくると、いつのまにか「人」と「問題」が一緒になって、 その人自身が「問題扱い」されがちで、自分もつい自分自身を問題視しがちです。そこで「人と問題の切り離し」が大切になってきます。  具体的には、「“問題”の外に出る」「“問題”を外に出す」「“問題”を置き換える」という方法を取ります。 そのことによって「とらわれ」が「関心」に、「悩み」が「課題」に、「孤立」が「連携」へと変わっていきます。


主観・反転・“非”常識

当事者研究では、当事者自身が見て、聞いて、感じている世界を尊重し、 受け止めようとする姿勢を大切にしています。そのためには、当事者が抱えている 幻覚や妄想などのエピソードも、共にその世界に降り立ち、現実を共有し、苦労に 連帯しながら、新しい生き方のアイデアを一緒に模索し、探究します。 さらに、既成概念や常識を反転させたりして、苦労の現実が持つ新しい可能性を見出そうとします。 そして、ワイワイ、ガヤガヤ、あーだ、こーだの自由な雰囲気で語り合い、議論しあう研究のなかから、 思いも寄らないユニークな研究成果が生まれます。


生活の場は大切な「実験室」

当事者研究で大切にしていることは、かかえている苦労や起きている困難な出来事を共有するために、 絵に書いてみたり、苦労の内容をロールプレイで実際に演じてみたり、物に置き換えてみたり、具体的に練習した りするなど、さまざまなツールを積極的に活用します。そして、「何がどうなっているのか」と「何をどうすればよいのか」 が明らかになり、研究の成果が目に見える形で日常の生活のなかに具体的に実現され、生かされ、 安心が増えていくということを大切にします。その意味でも生活の場は試行錯誤を可能にする大切な「実験室」なのです。


いつでも、どこでも、いつまでも

当事者研究は、時間と場所、期間を選びません。必要なとき、必要な場所で、必要な時間(期間)、 いつでも進めることができます。そこには、困ったとき、行きづまりを感じたとき、悩んだとき、不安なとき、 そして、「当事者研究なんか、どうでもいい」と投げやりになったときにも、 ちょっと立ち止まって一言「研究してみよう!」と言う勇気が必要になってきます。


にもかかわらず笑うこと

当事者研究という場には、いつもユーモアと笑いが絶えません。 ユーモアの語源が「にもかかわらず笑うこと」といわれるように、 「笑う」ということは、究極の「生きる勇気」だともいえます。


「言葉」を変える、「行い」を変える

当事者研究では、行き詰まりを打開する方法として、困難を語る「言葉を変えていく」「行いを変える」ことを重視します。  その「言葉」と「行い」によって目に見える現実の苦労の風景が変わることがあります。その意味で「当事者研究」とは、現実を物語る新たな言葉を想像し、言葉を育て、「振る舞い」を生み出していく作業であるということができます。  それは、かつてべてるのメンバーの松本寛さんが「統合失調症は友達ができる病気です」と語った言葉によって、私たちのかかえる病気や生きる場がまったく違った風景で見えるようになり「統合失調症のブランド化」を促したように、「悩む」ことが「研究」することに変わり、「思い煩う」ことが「考える」に、「とらわれる」ことが「観察」に、「病気の失敗」が「有用な人生経験」へと変わっていくのです。


病気も回復を求めている

当事者研究では「病気も回復を求めている」という考え方を大切にします。つまり、「病気が自分の生活をジャマしている」「病気さえなかったら」という生き方ではなく、自分が病気の足を引っぱらない生き方や暮らし方を見出すという点に着目します。病気や症状のシグナルは、私たちを回復に向かわせようとする大切な身体のメッセージでもあるのです。


当事者研究は頭でしない、足でする

研究と言うと、どうしても机に座ってい頭でいろいろと思考をめぐらすというイメージがあります。しかし、当事者研究では、足(身体)を使って具体的に行動し、人と出会い、困難な現実に立ちながら仲間と一緒に考えらうというプロセスを大切にしています。  当事者研究の理念は、多くの研究活動の中から生まれた大切な指針です。そして、これからも当事者研究の現場から、新しい理念が生まれ加わっていくことでしょう。